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伽哩「カリイ」本舗 門司港発祥 「焼きカレー」

「焼きカレー」食にまつわる物語
こだわり続けた 「焼きカレー」
「焼きカレー」の原点は母親の作ってくれた味でした
1926年頃、リンナイ社製のオーブンが発売され私の生まれ育った北九州の門司港では、
父が電気店を営業していたため電化製品の導入が早く、家庭料理にもオーブンを使うこと
が多かったように記憶している。
当時私が小学校にあがったころでしょうか、母親が余ったカレーをオーブンで焼くではない
ですか、その香ばしいカレーの味が忘れられなかった。
じゃがいもやにんじんがトロトロに溶けたカレーソースの上に卵と溶けないチーズをのせて
更に魚の煮付けの残りなどを入れ焼いた「焼きカレー」。
「焼きカレー」を長い間食べ続けてきたからこそ、店をオープンする際メニューの一品にし
ました。
店をオープンして、1年も経たないうちに、テレビ・雑誌などの取材により「焼きカレー」
は爆発的に大ヒット・・・。

しかし、実際はカレーのベースとなるスープ作り、
スパイスなどの調合毎日が試行錯誤の連続だっ
た。
自分のイメージする味にならないときは、スープ
を何度も捨てた。
自分が納得できないものは出さないという考えから、
カレー作りに対して、本能の赴くまま打ち込んいった。
そしてついに自分の理想とするスープに出会えた時、北九州を出て、より多くの可能性を
求め福岡市博多で勝負することを決意した。
同時に私が作る「焼きカレー」をオリジナルとして保存しなければならないという想いか
ら、特許を申請し取得した。
平成14年からは横濱カレーミュージアムに出店し、「元祖焼きカレー」として多くの人に食
されるようになる・・・。
つまづいたり、転んだりしながら雑草魂で起き上がってゆきたいと思っています。
「幸せだとも思わないし、辛いとも思わない。ただ、いつまでも幸辛の狭間にいたい」これ
からも素材や味に妥協を許さないカレー作り続け、最高の「焼きカレー」を提供したいと思
っています。
(カレーを知ってほしい)
当時日本に於いてカレーが食された時は、明治初期、その当時は一説によると中の
具材は、魚・赤蛙・かき・などが使われ、大正時代に入り軍隊で食される様になり、そ
の後それが各家庭で食べられる様になった。
1924年3月10日に、東京・浅草で日賀志屋(現・エスビー食品)創業・初のカレー粉
の製造を開始し、昭和5年に、家庭用のカレー粉がエスビー食品より発売され、その
後に市販のカレールーが発売されるのであるが、カレー粉を使うよりも市販のカレー
ルーが普及したために、カレー粉でカレーソースを作るより簡単に出来る様になった、
たぶん当時カレー粉が出来た頃はカレー粉をいかに使えば良いのか理解出来なかっ
たのでは・・・続き〜>>
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私の生まれ育ったのは北九州市門司区東本町「門司港」と言う地域です・・・。
今の食生活とは違い、当時は化学調味料を使って、料理を作るような事はなかったよ
うに思います、母がすべて味を付け、調理し、それを食していたような記憶がありま
す。
考えて見ますと、当時は、食事に関して言えば、体にとってとてもいいものを食べてい
た様に思えます。
しかし今は、現代日本の食生活に不安を感じます、事実生活習慣病という病気がクロ
ーズアップされています、食生活の改善が必要なのでは・・・!
食生活の欧米化が、重要視されている現在ですが、すべてが悪いわけではありませ
ん・・・。

私なりに、本来日本人にあった食材、そして
それを調理する方法を考える日々です。
しかし、野菜にしても昔と違い、匂いがあま
りしない、虫すら食べない、とりわけ野菜
は、見た目の商品価値をあまりにも考えす
ぎ、人工的に、作られる為かもしれませんが、それ以上に心配なのは、多くの日本人
が、そのような事に気づかなくなっている事だと思います・・・。
今後の日本の食生活はどうなるのでしょうか、子供たちにはなるべく本来の味を生
かした料理を食べさせて上げてください。
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「焼きカレー」伽哩本舗
福岡市博多区上川端町6−135
092−262−0010
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